「罪と罰」
踏み出す前に考えてみよう
最近詐欺や窃盗のニュースが多いですね。コロナ禍の影響も多々あると思います。以前はマスクやサングラスをしていると不審者でした。花粉症の方など肩身の狭い思いをしていましたね。マスクをして正義の味方は月光仮面とバットマンぐらいでしたが、マスクをすると別人になった気がするのでしょうか。レジ袋有料化の時は万引きでニュースになりました。無人販売所が増えてきたこの頃は無払い窃盗です。監視カメラ(いや違法なので防犯カメラですか)設置されているのにも関わらず、分からないと思っているのでしょうか。二度三度繰り返すと「魔が指した」では済みません。
フィリピンで特殊詐欺グループが摘発されたかと思うと、今度はカンボジアにもいました。まだまだタイやマレーシアにも特殊詐欺グループがいるようですね。「闇バイト」で関わり合った青年はこれから一生その罰を背負っていかなければなりません。まず刑に服すのもそうですが、被害者がいれば損害賠償の訴訟を起こされれば100%裁判で負けます。「闇バイト」で強盗、死者も出ているので死刑まで行かなくても一生刑務所暮らしですか。
先日たまたま立ち寄った図書館でこんな本を見つけ、懐かしいなと思い貸し出して貰いました。90年近く(ほぼ一世紀ですね)前のベストセラーですね。
罪と罰 1935年発行
主人公のラスコーリニコフは、貧しい学生生活から逃れるために、金貸しの欲深い老婆を殺して金を盗む決行します。しかし、 貧しい家族のために娼婦になった少女と出会い、彼は罪の意識に苛まれ、罰を受けることを決意します。 物語は、ラスコーリニコフが犯した罪の深刻な影響を描写しており、それは彼の人生に多大な影響を与えます。
若くても年配でも、人生生活してしていく上で辛い時苦しい時、また欲が生まれた瞬間は多々あります。失敗は補えますが、しかし踏み外してはいけない人としての道は後戻りが出来ません。自分だけでなく家族、親兄弟をも不幸に巻き込んでしまいます。社会にはそんな魔の手が、隙があれば忍び寄ってきます。聖人君子に生きられる訳ではありませんが、その結果を考えてみれば答えはでる筈です。
以前仕事の関係で訪問していた先の方から雑談で聞いたお話です。その方はやくざ組織の一員ですが、数度のお勤めを経験しているそうです。
まず冒頭に刑務所は保護施設や更生施設ではなく監獄なので自由は勿論、行動・言論も認められていません。20年前までは監獄法でした。今は刑事施設となっているようです。名前が変わっただけで内実は同じ監獄です。懲役とは労働で懲らしめる制裁です。逃げ場はありません。組織に属するヤクザは入所した時から居場所があるそうですが、一般の囚人には居場所も無いそうです。補足ですが共犯者は同じ刑務所には収監されないそうです。見栄を張っても意気がってもここまでです。扉の向こうには上には上が有るようです。全身に刺青が入った集団の中に普通の人が一人放り込まれたら、恐怖と緊張で竦みますよね。元警察官、「破廉恥罪」で入所して来た囚人は何処でもそうですが嫌われるようです。話だけで無料体験でも参加したくはありません。「十年一日」の監獄ですからね。一時の欲望で犯罪を犯した「罪と罰」はこのような過酷な社会に続く扉なのです。一時の快楽で親族を含めた自分の未来を苦悩の世界に導いてしまいます。出所後はどうするのでしょう、たぶん考えてはいないでしょうが。そこから人生をやり直すのも大変なことです。他人に与えた非情が我が身に返って来るのですから誰を恨むことも出来ないでしょう。
「十年一日」この期間は消された人生です。
人間社会は分業で他人の役に立ち、そして他人も自分の役に立っているのです。民主主義とか平等は理想です。どこの社会でも不平等はあります。自分だけではありません、みんなそうなのです。一時の欲望で罪を犯してしまった場合時間を戻す術はありません。
自分自身もまた大切な友人も、一時の迷いから人生を狂わせないよう気を付けたいですね。